見えるかな?
いよいよ、明日は、金環日食の日です。
香川県内で見られるのは、なんと!282年ぶり。
次に見られるのは、83年後の2095年11月という、まさに貴重な天体ショーなのです。
我が家でも専用の日食グラスを用意しています。
息子と「一緒に見ようね~♪見えるといいね~♪」と、随分前から、徐々に盛り上がっていて、
指折りカウントダウンしております。
(高松市内中心部なので、見えるのは、部分日食には、なりますが・・・。)
近年、これほど老若男女が、同じ目的を心待ちにするイベントってあったでしょうか?
価値観の多様化が進み、物質的に満たされている今の時代、何の分野においても細分化が進んでいるため
より多くの人たちが一つのことを共有できる状況は、少なくなってきているように思うのです。
ところが、この「金環日食」!
日に日に盛り上がりを見せています。
なんだか、あまり天体に興味がない人も「一応、見ておかなければ・・・ね!」という気になってきているようです。
「金環日食」を通して、私が息子にひそかに期待しているのは・・・
①これをきっかけに天文や宇宙、科学に興味を持つかも?!
②自然の神秘や美しさに触れることで、自然への畏怖の念や感謝の心が芽生えるかも?!
③将来、今を生きている人たちと時代を共有できる!などでしょうか?
①、②は、「あわよくば・・・」ですが
③の「時代の共有」について・・・。
私がラジオを担当するようになって1年が経過しました。
ラジオの番組の中で、
「子供の頃、~~なことなかった?あったよね~。」「学生の頃、~~って、ブームになったよね~。」
「この曲、昔、聴いた。聴いた!一世を風靡したよね~。」「あった。あった~。」という会話が、よく出てきます。
つまり、この会話の主たちは、同じ時代を共有してきたのです。
時には、周りは盛り上がっているのに、自分は知らなということもあります。
世代が違うのではなく、当時、多くの人が体験しているにもかかわらず、自分は体験していないこともあるのです。
「あれ?どうしてだろう?私、それ、知らない・・・」
なんともさびしい気持ちになります。
かつて、私の両親は、仕事の忙しい合間を縫って、大阪万博に連れて行ってくれました。
なにせ、幼稚園に上がる前のことですから、写真には残っていますが、残念なことに私の記憶には残っていません。
両親は「みんなが行っているのに、我が子は、知らないなんて、かわいそうだから。」という理由で
連れて行ってくれたのだと話してくれた時、
「記憶に残ってないくらいなのに、随分、無駄なことを・・・」と思いました。
さらに「人と同じことをすることに何の意味があるのだ?!」とすら思っていました。
しかし・・・。
自分が、年を重ねて、子供を持って、その気持ちがわかるようになった今は、両親の気持ちと行動に感謝しております。
ラジオでも「あった、あった。そうだったよね~。」と話せるのと話せないのでは、大違いなのです。
話せた途端に、それだけで、時代共有者達は、一気に相手に心を許し、親近感を抱けるのです。
まるで同窓会のような感覚です。
懐かしくて楽しい
これだったのか・・・。
そして、自分の息子にも数十年後、
「僕達が、子供の頃、金環日食があるって、日本中で騒いで、み~んな、こぞって見たよね~。」と
誰かと時代を共有する感覚を楽しんでほしいと思うのです。
もちろん、見えるのがベストなのですが、
仮に曇りで見えなくても「結局、見えなかったんだけどね。」と、残念だった気持ちも共有できます。
息子は、「金環日食」を通してどんなことを感じるかな?
考えてみたら、私達は、偶然の巡り会わせで、奇跡的に同じ時代を生きているのですね。
そう思うと面白い!!
それにしても、明日・・・。
見えるのかな?
今のところ、雲の切れ間から見られることを祈る状況ですが、
もちろん、スタンバイ、オッケーです
あ~した、天気になぁ~れ