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2021年4月2日

新人・中條 加菜アナ 初登板

中條 加菜アナウンサー。新年度早々、本日ニュースで初登板しました。

弊社期待の新人です。よろしくお願い申し上げます。

私は指導役の一人として、中條アナのデビュー戦にスタジオ内で立ち合いました。合格発表に付き添う保護者の気分でした・・・

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2021年3月26日

松田愛里アナ お疲れさまでした

松田愛里アナウンサーが、弊社西日本放送を卒業しました。

平成29年入社の松田アナは、入社2年目の夏にRNCニュースeveryのキャスターに選任され、直後に西日本豪雨が発生。日々災害報道に携わり、また被災地に赴く事で、被災者の皆様の気持ちに寄り添った報道、また災害に備える事の重要性を学び、それらは後に彼女のニュースに対する向き合い方の柱となりました。その思いは後に防災士の資格取得につながり、また在職中は相棒、岸たけしアナウンサーと共に、ニュースeveryの「みんなの防災」制作に尽力して参りました。

彼女の語り手としての魅力は、気取らず、軽快さと優雅さの表裏一体。そして穏やかながらも芯はぶれず、その成長は地道ながらも、今日まで一歩一歩、アナウンサーとしての王道を歩んで参りました。今後も弊社で活躍する事を期待しておりましたが、新たな環境で自身の力を試したいとの思いがあり、この度の弊社卒業となりました。

松田アナと、石井奏美アナ、そして現在、神戸を主戦場としている男性アナの同期入社3人の、デビュー戦を前にした実戦訓練にお付き合いした事、非常に密度の濃い時間で、私にとって忘れられない思い出です。3人のデビュー戦=「初鳴き」後のお祝いの席、あれからもう4年ですか・・・。

松田さん、お疲れ様でした。ありがとう。

春は別れの季節、我がblogはあたかも卒業アルバムの如し。岸くん、こっち見るな。

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2021年2月26日

藤田崇寛アナ お疲れ様でした

藤田崇寛アナウンサーが、今春、弊社西日本放送を卒業しました。平成28年入社の藤田アナは、その温和な人柄と軽快な喋り、魅力あふれる笑顔でエリアの多くの方々から御支持を頂き、every.フライデーやWHAT’S なにこれ!?、シアワセ気分!など、弊社の看板番組の多くを担当するエースとして、これまで活躍して参りました。

またスポーツ中継においては、快活ながらも派手になり過ぎない、時に職人気質を思わせる様な堅実な実況で、これから弊社のスポーツ実況の要になると期待していた矢先、弊社を卒業となりました。

個人的には、藤田アナが放送デビュー戦に臨む直前の現場トレーニングにお付き合いした事が思い出されます(何か最近、日野道場とか言われている様です・・・)。それだけに彼の巣立ちは寂しくもありますが、「挑戦のための決断」。今後は、弊社で培った腕を新天地で存分にふるうとのこと、更なる成長、更なる活躍を期待するのみであります。

藤田君。お疲れ様でした。ありがとう。

デビュー戦直前の藤田君、懐かしい1枚。

 

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2021年1月5日

26年ぶりの・・・

「密回避」に従って、仕事始め後に初詣に行ってきました。正月明けの初詣は1994~95年の第73回全国高校サッカー選手権のスタッフを務めた時以来です。あの頃は毎年、東京・御茶ノ水のホテルでカップ麺を食べながら年を越すのが恒例でした(遠い目)。

「香川・岡山勢揃っての大晦日初戦突破は73回大会まで遡る・・・」との中桐アナのツイートを見て、「あ、僕は間違いなくオジサンだわ」と再認識。今年も頑張って生きよう(´・ω・`)

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2020年2月26日

村上 昂輝アナ お疲れ様でした(公開終了)

*公開終了

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2019年7月12日

DDG-174 きりしま

高松港に入港した護衛艦きりしま(DDG-174)。

こんごう型護衛艦の2番艦、イージス艦。高松港には13・14・15日の一般公開にあわせての入港となりました。「きりしま」の艦名の由来は日本海軍の戦艦「霧島」と同じく霧島山です。

さらにカタカナ表記のキリシマにすると地球艦隊の旗艦に(以下略)

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2019年6月28日

山崎達也アナ お疲れさまでした

山崎達也アナウンサーが、弊社西日本放送を卒業しました。昭和57年入社の山崎アナは、昭和の終わりから平成の始めにかけては、夕方放送のテレビニュース番組でメインキャスターを担当。また日本テレビ系列で放送されたズームイン朝では、植松おさみアナの後を継いで、岡山・香川の顔として活躍しました。また山崎アナと言えばスポーツ実況。弊社のスポーツ中継の歴史を語る上で、絶対に欠かせない存在でもあります。

 

少し脱線しますが、私が個人的に、山崎アナを語る上で欠かせない人物は、当時NHK高松放送局に所属していた近藤冨士雄アナウンサーです。私は高校在学時、近藤さんとはローカル番組等を介してご縁があり、一方、近藤アナと山崎アナは学生時代の同級生。私が西日本放送への入社が決まった時、タウン情報かがわの誌面を通じて頂いた「日野くん頑張れよ。困ったら先輩山崎の足を引っ張れ」とのエールは今でも忘れられません。その後、実際にどれほど足を引っ張ったかは内緒です(笑)

 

山崎アナは弊社卒業後も、岡山・香川エリアにとどまらず、系列の枠を超えて、スポーツ中継を通じて皆様の前に登場する機会が多々ありそうです。

山崎兄貴、お疲れ様でした。ありがとうございました。

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2019年5月31日

森 佳子アナ お疲れさまでした

森 佳子アナが本日、弊社、西日本放送ラジオ「ミュージック イン ランチボックス」の最後の出演を終え、弊社でのアナウンサーとしての活動に一区切り、となりました。

森さんは1974年以来、長年アナウンサーとして、弊社のラジオ・テレビの様々な番組で活躍しました。特に、往年の洋楽ファンに圧倒的に支持された「サウンドスペース」のVJとして、岡山・香川の洋楽文化を作り上げた一人と言っても過言ではありません。また80年代後半からは、当時、地方では珍しかったF-1の番組を担当。その後のF-1ブームを予見するかの様な、稀有な番組でもありました。

私も平成元年の入社以降、多くの現場で森さんとご一緒し、多くの事を学びました。特に、自身の放送に関わる姿勢、アナウンス業務の根幹に関わる大切な精神を教えられました。これは、今でも自身のアナウンサーとしての「芯」として大切にしております。

いつもと変わらない雰囲気、軽やかなテンポで、構えることなく番組を終え、マイクをOFFにした森さん。

お疲れさまでした。ありがとうございました。

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2019年1月9日

全てが思い出に

建て替えのため近々取り壊しが決まっている、母校、高松第一高校の現校舎。新年早々、卒業生対象の校舎公開があり、お邪魔しました。教室、運動場、食堂、柔道場に音楽室・・・3年間を過ごした思い出深い校舎が無くなるのは、やはり寂しいものです。

  

我が母校・・・渕崎小学校は閉校し、紫雲中学校も武蔵野音大も既に建て替えられ、最後に残った高松一高も・・・。全てが思い出の景色になるんだなあと、しみじみ思う正月でした。

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2018年11月5日

帰ってきたラジオはアメリカン

1981年にスタートし、弊社、西日本放送ラジオでも放送していた「ラジオはアメリカン」。番組終了から20数年、このほど東京で、その番組の同窓会的イベント「帰ってきたラジオはアメリカン」が開かれ、私も一人のリスナーとして参加してきました。

 

ステージに立たれた初代パーソナリティの大橋照子さんと、二代目パーソナリティの斉藤洋美さん、そして出演者でもあった放送作家の鶴間政行さん、お三方の懐かしい、あの頃と変わらない声、ただただ懐かしかったです。また番組放送時、主に小中高校生だったリスナーの皆様も平等に年齢を重ね(笑)、まさに会場は「同窓会」でした。

 

私が番組を「欠かさず」聴いていたのは、番組スタート時の中学3年生から高校卒業までの4年間。日曜夜10時15分からの30分、大橋照子さんの声を聴いて「明日から学校か」と思う毎週でした。当時の主な投稿手段はもちろんハガキで、様々なコーナーに投稿しましたが、リスナーのネタレベルは非常に高く、ほぼ毎週ボツ・・・そんな中、視聴者が自由なネタで、何か面白い事をカセットテープに録音する「面白カセット」のコーナーに投稿し、それが採用された時は、嬉しいと言うよりも、「自分の声がラジオで流れている」という、とてもとても不思議な気持になったことを記憶しています。私の声が電波にのったのは、おそらくあれが最初で、実はこれが、後の職業選択にも強く影響しております。

 

その後、大学の4年間を経て西日本放送に入社。入社後間もなく担当していたのが日曜夜11時前のニュース。ちょっと早めにラジオスタジオに入り、原稿のチェックなど準備をしながら毎週聴いていたのが、二代目ラジアメ担当・斉藤洋美さんの声でした。時に仕事で失敗したり、悔しい思いをして気持ちが沈んだ時も、斎藤さんの声を聴いて、自分が放送という仕事に興味を抱き、大きな夢を持っていた時代を思い出し、少なからず支えとなっていました。

 

「リスナーとしての立場」と「送り手側としての立場」両方の感覚をもって聴くことの出来た、自分にとっては稀有な存在、そんな番組でもありました。

 

気が付けば私も放送人30年生。社会人としてのゴールを意識した思考に陥る時もありますが、今回のイベントで、あの頃と変わらないラジアメパーソナリティの元気なお姿を見て、あの頃の気持ち、放送に夢を抱いた気持ちを思い出しながら、「まだまだ現役、頑張ろう」と再確認した次第です。

 

大橋照子さん、斉藤洋美さん、鶴間政行さん、またイベント実行委員会の皆さん、ありがとうございました。

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