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2019年7月12日

DDG-174 きりしま

高松港に入港した護衛艦きりしま(DDG-174)。

こんごう型護衛艦の2番艦、イージス艦。高松港には13・14・15日の一般公開にあわせての入港となりました。「きりしま」の艦名の由来は日本海軍の戦艦「霧島」と同じく霧島山です。

さらにカタカナ表記のキリシマにすると地球艦隊の旗艦に(以下略)


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2019年6月28日

山崎達也アナ お疲れさまでした

山崎達也アナウンサーが、弊社西日本放送を卒業しました。昭和57年入社の山崎アナは、昭和の終わりから平成の始めにかけては、夕方放送のテレビニュース番組でメインキャスターを担当。また日本テレビ系列で放送されたズームイン朝では、植松おさみアナの後を継いで、岡山・香川の顔として活躍しました。また山崎アナと言えばスポーツ実況。弊社のスポーツ中継の歴史を語る上で、絶対に欠かせない存在でもあります。

 

少し脱線しますが、私が個人的に、山崎アナを語る上で欠かせない人物は、当時NHK高松放送局に所属していた近藤冨士雄アナウンサーです。私は高校在学時、近藤さんとはローカル番組等を介してご縁があり、一方、近藤アナと山崎アナは学生時代の同級生。私が西日本放送への入社が決まった時、タウン情報かがわの誌面を通じて頂いた「日野くん頑張れよ。困ったら先輩山崎の足を引っ張れ」とのエールは今でも忘れられません。その後、実際にどれほど足を引っ張ったかは内緒です(笑)

 

山崎アナは弊社卒業後も、岡山・香川エリアにとどまらず、系列の枠を超えて、スポーツ中継を通じて皆様の前に登場する機会が多々ありそうです。

山崎兄貴、お疲れ様でした。ありがとうございました。


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2019年5月31日

森 佳子アナ お疲れさまでした

森 佳子アナが本日、弊社、西日本放送ラジオ「ミュージック イン ランチボックス」の最後の出演を終え、弊社でのアナウンサーとしての活動に一区切り、となりました。

森さんは1974年以来、長年アナウンサーとして、弊社のラジオ・テレビの様々な番組で活躍しました。特に、往年の洋楽ファンに圧倒的に支持された「サウンドスペース」のVJとして、岡山・香川の洋楽文化を作り上げた一人と言っても過言ではありません。また80年代後半からは、当時、地方では珍しかったF-1の番組を担当。その後のF-1ブームを予見するかの様な、稀有な番組でもありました。

私も平成元年の入社以降、多くの現場で森さんとご一緒し、多くの事を学びました。特に、自身の放送に関わる姿勢、アナウンス業務の根幹に関わる大切な精神を教えられました。これは、今でも自身のアナウンサーとしての「芯」として大切にしております。

いつもと変わらない雰囲気、軽やかなテンポで、構えることなく番組を終え、マイクをOFFにした森さん。

お疲れさまでした。ありがとうございました。


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2019年1月9日

全てが思い出に

建て替えのため近々取り壊しが決まっている、母校、高松第一高校の現校舎。新年早々、卒業生対象の校舎公開があり、お邪魔しました。教室、運動場、食堂、柔道場に音楽室・・・3年間を過ごした思い出深い校舎が無くなるのは、やはり寂しいものです。

  

我が母校・・・渕崎小学校は閉校し、紫雲中学校も武蔵野音大も既に建て替えられ、最後に残った高松一高も・・・。全てが思い出の景色になるんだなあと、しみじみ思う正月でした。


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2018年11月5日

帰ってきたラジオはアメリカン

1981年にスタートし、弊社、西日本放送ラジオでも放送していた「ラジオはアメリカン」。番組終了から20数年、このほど東京で、その番組の同窓会的イベント「帰ってきたラジオはアメリカン」が開かれ、私も一人のリスナーとして参加してきました。

 

ステージに立たれた初代パーソナリティの大橋照子さんと、二代目パーソナリティの斉藤洋美さん、そして出演者でもあった放送作家の鶴間政行さん、お三方の懐かしい、あの頃と変わらない声、ただただ懐かしかったです。また番組放送時、主に小中高校生だったリスナーの皆様も平等に年齢を重ね(笑)、まさに会場は「同窓会」でした。

 

私が番組を「欠かさず」聴いていたのは、番組スタート時の中学3年生から高校卒業までの4年間。日曜夜10時15分からの30分、大橋照子さんの声を聴いて「明日から学校か」と思う毎週でした。当時の主な投稿手段はもちろんハガキで、様々なコーナーに投稿しましたが、リスナーのネタレベルは非常に高く、ほぼ毎週ボツ・・・そんな中、視聴者が自由なネタで、何か面白い事をカセットテープに録音する「面白カセット」のコーナーに投稿し、それが採用された時は、嬉しいと言うよりも、「自分の声がラジオで流れている」という、とてもとても不思議な気持になったことを記憶しています。私の声が電波にのったのは、おそらくあれが最初で、実はこれが、後の職業選択にも強く影響しております。

 

その後、大学の4年間を経て西日本放送に入社。入社後間もなく担当していたのが日曜夜11時前のニュース。ちょっと早めにラジオスタジオに入り、原稿のチェックなど準備をしながら毎週聴いていたのが、二代目ラジアメ担当・斉藤洋美さんの声でした。時に仕事で失敗したり、悔しい思いをして気持ちが沈んだ時も、斎藤さんの声を聴いて、自分が放送という仕事に興味を抱き、大きな夢を持っていた時代を思い出し、少なからず支えとなっていました。

 

「リスナーとしての立場」と「送り手側としての立場」両方の感覚をもって聴くことの出来た、自分にとっては稀有な存在、そんな番組でもありました。

 

気が付けば私も放送人30年生。社会人としてのゴールを意識した思考に陥る時もありますが、今回のイベントで、あの頃と変わらないラジアメパーソナリティの元気なお姿を見て、あの頃の気持ち、放送に夢を抱いた気持ちを思い出しながら、「まだまだ現役、頑張ろう」と再確認した次第です。

 

大橋照子さん、斉藤洋美さん、鶴間政行さん、またイベント実行委員会の皆さん、ありがとうございました。


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2018年6月29日

采野さんお疲れ様でした!小御門さん行ってらっしゃい!

6月。弊社、西日本放送の様々な番組で活躍した2人の同僚が、人生の大きな転機を迎えました。

采野友啓さん。1977年に西日本放送に入社し、長年アナウンサーとして活躍。特に、朝のラジオ番組「さわやかラジオ」では、「うねやん」の愛称とともに、香川県の朝の顔として多くの方に親しまれてきました。その後は様々な部署で番組を作り支える側に軸足を移し、このほど主戦場だったラジオで、会社員としての卒業の日を迎えました。その堅実・丁寧な仕事っぷり、また、語り手としても作り手としても、常に最新情報を発信し続けるという放送人としての姿勢は、後輩として、これまで学ぶ事が数多ありました。

卒業後も時間の許す限り、弊社ラジオで、ベテラン放送人として番組作りに参加する予定の采野さん。生涯現役も良いですが、「おじいちゃん」としての役割も、しっかり楽しんで下さい(笑)。

小御門千絵さん。2010年に入社し、翌年4月からはRNC ニュースeveryのキャスターに抜擢されました。その後の活躍は言うまでもなく、皆様、ご存知のこととは思われますが、このほど弊社を休職し、国際協力機構JICAの青年海外協力隊員として、東ティモールに派遣されることになりました。2年間の活動期間、現地の国営放送で番組作りに携わるということです。

現在、私(日野)は、RNCニュースeveryの放送ディレクターを兼ねていて、スタジオ副調整室で陣頭指揮をとっていますが、とにかく小御門さんは一騎当千。追い詰められた状態でも、この人なら何とかしてくれるという安心感。2~3説明すれば10理解してくれる頭の回転の速さ。その語り手としての瞬発力の高さは、弊社歴代随一と言っても過言ではありません。そんな頼りになる彼女の旅立ち、戦力面ではとにかく「痛い」の一言ですが、それでも、崇高な使命を果たそうとする、その志に最大級の賛辞を送りつつ、笑顔で見送りたいと思います。

小御門さん、行ってらっしゃい!

 

 

 

帰ってきてね(´・ω・`)


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2018年3月31日

お花見ダブルヘッダー

満開の桜の花を求めて、亀鶴公園(さぬき市)と公渕森林公園(高松市)へ。春ですね!

亀鶴公園の桜並木

公渕森林公園 桜とチューリップの競演


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2018年2月13日

休日ドライブ@呉市

広島県呉市まで往復400kmの休日ドライブ。港町珈琲店のカレー美味しかったです(^o^)

 


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2018年2月4日

雪がどうして白いか(以下略)

4日、雪の高松空港。香川県とは思えない景色でした。


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2018年1月9日

30年目の社会人生活

皆様、年末年始はいかがお過ごしでしたか。私は社会人生活初の暦通りのお休みを頂戴し、ミカンとお酒常備のこたつでテレビとゲーム三昧でした。初夢は、録音に失敗したコマーシャル音声を誤って放送され、それを聴いて慌てて局に電話するという、とてもリアルな事故の夢で散々でしたが、おみくじは大吉でしたから、まあ差し引きゼロということにしておきましょう・・・。

平成元年から始まった私の社会人生活も、気が付けば30年目。その平成の元号も来年には新たな元号に変わろうとしております・・・・。皆様、今年もよろしくお願い申し上げます。

お気に入りの正月用にゃんこぐい呑み


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